【第11回】
~ 赤ちゃんがくれるチカラ ~
入選
待ってたよ
福岡県 主婦 女性 29歳
突然、私のお腹に小さな命を見つけた。私たち夫婦は新しい家族を迎えることになった。
赤ちゃんは順調に育った。二度の逆子もなんとか元に戻した。余程元気がいいのだろうと私たちは笑いあった。
周りの妊婦仲間が次々と出産し、会いに行く度「次はあなたの番ね、頑張ってね。」と言われた。初産なので正直何をどう頑張ればよいのか分からなかったが、私も早く我が子を抱きたいという思いが強くなった。それと同時に出産に対しての不安が募ってきた。陣痛の痛みってどのくらいなのか?もし、家に一人でいるときに陣痛が起ったら?破水に気がつかなかったら?周りの体験談や本を読んでいると、楽しみよりも恐怖の方が大きくなり、ここまできたら何とかして産まなければならないのだが、急に逃げ出したくなった。
その不安も日々大きくなるお腹への愛おしさにいつの間にか忘れていた。子供が娘だと知り、名前を夫と決め、ガーゼに刺繍した。タオルでぬいぐるみやスタイを作った。干されているベビー服にワクワクした。家中、準備万端だった。子連れの親子を見かけると一年後の自分を想像した。
臨月に入った。いつ産まれてもいい。次第にあの薄れていた不安がまたこみ上げてきた。予定日前の検診で「赤ちゃんが下りてきていない。」と言われた。「どうしたんだろう…」焦った私は周りの助言に従い、床の拭き掃除やら、無理のない程度のスクワットを行った。
いよいよ予定日がやってきた。もしかしたら今日…。緊張がピークに達した。ところが、お腹はいつものように優雅に動いて出てくる気配がない。結局その日は産まれなかった。
1週間後、陣痛促進をすることになった。勝手に誕生日を決めてしまうようで、気が進まなかったが、あまり長くお腹にいると赤ちゃんによくないというので決心した。うまくいけば、明日の午前中には会えるかもね、とお腹に言葉を掛けた。
翌日、産まれた…のは一緒に陣痛促進を受けていたもう一人のお母さんの赤ちゃんだった。隣の部屋から赤ちゃんの泣き声が聞こえた時私は泣いてしまった。私のおなかはと言うと依然音沙汰なく、三日後に再入院を決め、一度家に帰された。
友人や親戚から「まだか。」と催促の連絡が届くたびに私は焦り、泣いていた。「産まれたらちゃんと連絡をするからそれまで待って。」とお願をした。このまま、産まれなかったらどうしよう、もしかして赤ちゃんは出てくることを知らないのではないか?焦りと不安にまみれ、私は何度も泣いた。とはいえ、いつまでもメソメソしているわけにもいかない。めげずに真夏の暑さが残る中、床掃除とスクワットに励んだ。
再入院の前日の朝、いつもと違うお腹の張りと痛みが来た。病院へ行くと立派な自然陣痛だった。分娩室に入ってからは抱えていた不安よりも、とにかく無事に会いたいとばかり願っていた。そして六時間後、念願の我が子に会えた。私は全身で泣いている小さな命に「ずっと、待っていたんだよ。」と囁いた。
その日はちょうど、夫も母親も休みだった。そして義父がちょうど赴任先の大阪へ戻る日でもあった。夫の両親にも抱いてもらうことができた。娘はこの日に産まれるために今まで待っていたのかもしれない。
あれからもうすぐ一年になる。娘は毎日少しずつ成長している。あんなに不安と焦りの中を泳いでいた日々も娘の姿や無邪気な笑顔を見ていると薄れてしまう。これが子供の力かと毎日実感している。子育てに発見と喜びを得ている。私も娘に成長させてもらっている。
あの出産体験を思い出すと、そもそも予定日こそ、こちらが勝手に決めた誕生日のような気がする。赤ちゃんはお腹にいる時から自分の産まれる日を決めているのかもしれない。