【第11回】
~ 赤ちゃんがくれるチカラ ~
入選
なにして遊ぶ?
東京都 主婦 女性 28歳
さて、今日はなにして遊ぼうか……
生後六ヶ月を迎え、おすわりができるようになった娘と向かい合い、ガラガラやぬいぐるみの入ったおもちゃ箱の傍らで、しばし途方に暮れる。
ほんの数ヶ月前までは、ベビーベッドでメリーを眺め手足をばたつかせて喜んでいた娘。しかし、首や腰が据わって視界が広がり、手足もだんだんと自分の思い通り動かせるようになるにつれ、そうした眺めるおもちゃだけでは、満足しなくなってきた。
ガラガラを握らせてみたり、ぬいぐるみで話しかけてみたりすると、それなりに喜んではくれるものの、数分後には娘も私も飽きてしまう。そろそろもっと色々なおもちゃを買い足さなければならないのだろうかと悩みながら、ぐずる娘を抱っこして部屋をぐるぐる歩いてみたりしつつ、娘と過ごす長い時間を、日に日に持て余すようになった。
そんなある日のこと。洗濯物を干していたら、バウンサーでそれを見ていた娘が、ふいに「くふふ」と声をたてて笑った。どうやら、ガジャガジャ音を立てる洗濯バサミや、ハンガーに干されて揺れる洗濯物が楽しいらしい。試しに、ハンガーに干したシャツを「ほらほら、パパのシャツだよ」と、おおげさに揺らしてみると、娘は目を丸くして、それからこれまでにないほど大きな声を立てて笑ったのだった。
娘を喜ばせるものは、おもちゃ箱に入っているガラガラやぬいぐるみだけではなく、家じゅうに溢れているのだと気づいたのは、その時だった。娘が興味を抱き面白いと感じた瞬間に、それまで何の気なしに使っていたありとあらゆるものが、不思議で楽しいおもちゃに変身するのだ。
また同じころ、こんな発見もあった。これまでベビーベッドで泣かせたまま大急ぎでやっていた夕食準備を、洗濯を干す時と同じように、娘に見せながらやってみたら、驚くほど娘が喜んでくれたのだ。何か手に取るたび「ほら、オタマだよ!」「みてみて、赤いニンジン!」と、シルクハットからハトを取り出すマジシャンのようなしぐさで娘に見せたり、今にも踊りだしそうな大げさな身振り手振りでお鍋を出したり炒めたりしていると、娘もどんどんご機嫌になって、きゃふきゃふしきりに声を出す。その日から、娘に泣かれてイライラしがちだった夕食準備は、娘を楽しませるパフォーマンスの時間に変わった。
おもちゃ箱だけが遊びの出発地点ではないと気づいてから、遊ぶ時間と家事の時間を分けて考えるのをやめた。何をする時でも、常に娘を楽しませることを考え、家事をしながら歌をうたって時には踊り、娘が興味を持ちそうなものがあれば、「ほらほら、みてごらん!」と、娘のまえで大きく揺らしてみたり、振ってみたり、叩いてみたりして、娘の喜ぶツボを探すようになった。タオル、ステンレスのボウル、贈り物にかかっていたリボン、見せ方次第で、なんでも娘を喜ばせることができた。
娘が大きく目を見開くと、私の心も花開く。娘が弾む鞠のように笑うと、私の心も一緒に弾む。もっともっと娘を喜ばせたくて、家にあるもので簡単な創作もするようになった。買い物袋のなかにガラガラを入れて吊るしたものや、ペットボトルにボタンをいれたガラガラ、空っぽになったウェットティッシュの入れ物でおきあがりこぼしなんかも作ってみた。自分の作ったおもちゃで娘が遊んでくれると、なんだか、まだおしゃべりできない娘と心で通じ合えたような気がして、嬉しくなる。
娘の好奇心は私に、楽しいことを見つける力をくれた。そして、娘の喜ぶ顔を見たいという想いが、私をパフォーマーにし、おもちゃ発明家にもしてくれた。娘の存在がなければ、決して気づけなかったたくさんの楽しい世界が、日常のあちらこちらで目を覚まし、娘の笑い声が、そんな新しい世界に光を降らせる。
さあ、今日はなにして遊ぼうか。