【第11回】
~ 赤ちゃんがくれるチカラ ~
入選
350gからのエール
神奈川県 自営 女性 28歳
「きゃーっ!!」
便座に座ったまま私は思わず叫んだ。スティックの小窓にはくっきりと+の記号が浮かび上がっていた。
「どうしたの!?やっぱり妊娠してたの!?」
彼がトイレのドアをどんどん叩く。私はスカートをずり上げトイレを出ると、黙って妊娠検査薬のスティックを彼に渡した。
彼は説明書とスティックを何度も見比べた。そして私の手を握った。
「け、結婚してください」
「…はい!」
こうして私と彼はトイレのドアの前で夫婦に、そして母親と父親になる決意をした。
実は、妊娠当時、私は大学を卒業し大学院に進学したばかりの学生だった。学校は?親にはどう伝える?なんていう疑問や不安も、自分のおなかに新しい命があるというわくわくする事実の前では吹き飛んでしまったのだ。
夢をかなえるために進学した大学院。おなかに授かった命。どちらもあきらめるつもりはなくて、子どもを育てながら大学院を修了しよう、なんとかなるだろう、と楽観的に構えていた。
しかし、妊娠したことを両親に告げると、母は涙を流し「大学院はどうするの。まだ若いんだから今回は子どもをあきらめたら?」と言われてしまった。どうにか結婚式を挙げることになったがなかなか希望が折り合わず、身重のからだで結婚式場を行ったり来たりした。保育園はどこも満杯で、入園優先順位の低い学生である私には認可保育園へ子どもが入れる可能性がとても低いことを知った。
幸いつわりは軽かったものの、大学院の授業やレポート執筆の合間に両親の説得、結婚式の打ち合わせ、保育園探しに引越しの準備をこなしていたため、妊婦特有の眠気と疲れが重なって、昼間からベッドに横になることもしばしばあった。
一人暮らしをしていたマンションの窓際のベッドに横たわると、ビルとビルに挟まれた灰色の空だけがぽっかりと浮かんでいる。今ごろ、大学院では同級生たちが授業を受けているはずだ。自分が選んだことだ、と奮起しようとしても今からこの調子では子育てしながら勉強を続けるのは無理だ、ともうひとりの自分が弱音を吐く。大学時代の友人たちは社会人1年生として仕事を覚えるのに忙しく、相談するには気が引ける。都会の空は生き物の気配がまるでなく、ひとりぼっちの気分がさらに強まる。自然と涙がこぼれた。
そのときだった。ぶるるるる、とお腹の赤ちゃんが激しく震えたのだ。
「わっ!」思わず声を上げて飛び起きた。当時妊娠6か月に入ったばかりで、胎動はちょこちょこあったものの、こんなに激しく赤ちゃんの動きを感じたのは初めてだった。身震いでもしたのかな?自分から言わなければまだ気づかれない程度の下腹部のふくらみをなでた。赤ちゃんは私の手を蹴り返した。
そうか。私と、お腹の赤ちゃんは違う人間なんだ。
自分が育児をどうするかということばかり考えていたが、育つのはお腹にいる子自身で、私ができるのはその手助けをすることだけなのだ。不安が解けていく。文字通り腹の底から力が湧いてくるのがわかった。
その4か月後、夫となった彼に見守られるなか、私は医者も驚くほどの安産で娘を出産した。
そして、1年間休学した後、両親とアットホームな認証保育園のお世話になりながら、なんとか大学院を修了することができた。
現在、娘は5歳になり、私の母と一緒にバレエ教室に通う活発な女の子へと成長した。
妊娠中、お腹にいた娘はたくさん動いたが、激しく震えたのはあの1回だけだった。あれはまだ350gの胎児だった娘が、頼りない母親に渇を入れてくれたんだと思っている。