【第10回】
~ 赤ちゃんとの記念日 ~
入選
ふたりの恩人
埼玉県 主婦 34歳
「けんちゃん、赤ちゃんできたみたい・・・」
「本当か?やったな!その子のためにも、入籍しよう!」
こうして我が子を授かったことから、全てがはじまった。当初、主人は就職活動中。わたしは大学に勤めながら、夢である音楽活動を続け、忙しい日々を送っていた。
現実は、問題が山積み。彼がいること、その彼が無職であること、妊娠の事実、そのすべてを、両親は知らない。主人は以前、就職が決まったら、両親へ挨拶に行きたいと言っていたが、命よりも大切なことはないと心を固め、正直に今の状況を話して、認めてもらえるよう努力しよう、ということになった。
「今、お腹のなかに、赤ちゃんがいます。就職を決め入籍して、一日も早くこの子の父親になりたいです。」主人は真剣に伝えた。じっくりと両親は聞いてくれ、「わかった。ふたりが幸せになるために、全面的に協力する。」と背中を押してくれた。本当に有難かった。怒られてしまうかな、と思っていた父からは、「よくその状況(無職であること)を正直に話してくれた、話すほうもつらいこと、けんちゃんは度胸がある。」と褒められてしまった。
その後、悪阻がひどいわたしを気遣い、主人は3食の食事を作り、東京へ通い、就職活動を続けた。
そんな生活から1カ月ほど経ち、わたしは退職、悪阻のなか最後のコンサートを終え、主人は目出度く就職が決まった。本当に嬉しかった。きっと、おなかの中から、二人のことを見守って、未来を切り開いてくれたのだと思った。
7月20日。入籍の日の空は青く、晴れ晴れした気持ちで役所へ向かった。嬉しくて、ずっとおなかに手を当てていた。帰り道、道路沿いの水面一面に咲いていた蓮の花が、3人の結婚を祝福してくれた。これがわたしたち家族の記念日となった。
待望の母子手帳を手にすると、母になる実感がわき、手帳を抱きしめると、笑い転げてしまった。その合間に悪阻、また笑い転げる、そんな繰り返しに、「ゆかちゃんの頭がおかしくなっちゃった!!」と両親さえも一緒に笑い転げていた。
その後、新居探し、引越を終えて、いよいよ新しい生活がはじまった。「赤ちゃんの名前、どうしよっか?」新居での生活が落ち着いた頃、尋ねてみると主人は即答した。「実はねえ、もうはじめから決めてたんだ、名前はゆめちゃん。」わたしは嬉しくて涙があふれた。
中学生の頃からわたしが毎日唱えている言葉は「いつもココロに夢を♪」わたしの夢をいつでも理解してくれていた主人。だから、その言葉の由来を聞く必要もないし、男の子だったらという話にはならなかった。不思議だけれど、女の子が産まれてくることを、ふたりが確信していた。「ゆめちゃん、ゆめちゃん。」それから毎日、呼びかけては、おしゃべりをはじめた。順調すぎるほど、ゆめちゃんはすくすく育ち、わたしたちに幸せを振りまいてくれた。
1月の寒い明け方、陣痛がはじまった。仕事を終えた主人が、実家へやってきた。「いよいよだな、もう少しで、ゆめに会えるんだよ、わくわくするな。」主人が一緒ならば大丈夫、と言い聞かせていた。
深夜、主人の運転で病院へ。強い陣痛が迫ってきた。耳元で「リラックス、リラックス」と主人の声を確かめながら、イメージしていた呼吸法を必死で行い、疲れ果て朦朧とする中、昼過ぎに我が子の泣き声を聞いた。
「元気な女の子です、よくがんばりましたね、安産でしたよ。」
「ありがとうございます、ありがとうございます。」
すぐに、我が子を抱きしめた。あったかくて、ちいさくて、しわくちゃだった。家族がずっとそばで支えてくれた、本当に心強かった。
その後、自由に芽生えるように、由芽(ゆめ)と名付けられた我が娘。好きなことばかりしてきた二人の人生を、しっかり結びつけてくれたゆめちゃん。ゆめちゃんは、感謝しても感謝しきれない、ふたりの恩人です!!