【第10回】
~ 赤ちゃんとの記念日 ~
入選
最高の贈り物
奈良県 公務員 30歳
我が家の長男は月齢6か月になる。とても元気で体も大きい。息子は体が大きい分、体力もあり、昼寝なんてほとんどしない。散々遊んだ末にやっとのことで眠ったと思っても、30分もすれば起きてしまい、「遊ぼー。」とでも言わんばかりに「あーあー。」と大きな声を出しながら、マスターしたばかりの高速ハイハイで近寄ってくる。手を抜くことを知らない妻は全力で息子と遊び、仕事を終えた私が帰宅する頃には、二人は遊び疲れてぐったり。私は、そんな妻と息子の姿を見ると自然と笑顔になり、仕事の疲れも忘れてしまう。妻と息子が与えてくれるこの日常はこれまで味わったことのない幸せを感じされてくれるものだ。
妻は母親が保育士だったことに影響を受け、学生時代も幼児教育を専攻し、保育の経験がある。一方、育児に関して全く無知な私は、妻の厳しい子育てセミナーを受けながら悪戦苦闘の毎日を過ごしている。私の専属講師である最愛の妻は、子育てのプロであると同時にパパ育成のプロでもある。私はこれまでに幼児と接したこともなく、我が子を初めて抱いた時はどうしていいのかも分からず、難しい顔で息子を見つめているだけだった。元々“育児参加なんてしていては父の威厳がなくなる、育児は基本妻がやるもので、夫は休日に子供と遊んであげる程度が丁度いいのだ。”という古い考えの持ち主だった。
しかし、妻はそんな私を許すはずがなく、ミルクを飲ます際の話し掛けから、絵本の読み聞かせ、遊びの種類や方法、離乳食にいたるまで私を徹底的に教育してきた。もちろん反発なんて許可されない、仕事の疲れなんて言い訳は問答無用、喧嘩になれば全戦全敗である。ただそんな妻のスパルタ指導を実行すると息子は普段私に見せることのなかった顔と、ご近所さんから苦情が来るのではないかと思うほどの大きな笑い声で答えてくれるのである。妻は、そんな優しくも厳しい鬼講師ではあるが、こと妊娠に関しての不安は、私には想像もつかないものだったのだろう。
妻は「排卵がされていない。」と医師から告げられても、落胆した様子を見せることはなかった。学生時代から妊娠は困難と診断されていたので、妊娠・出産に対して望みは薄いことを覚悟していたのだろう。せめてもの神頼みで占い師に依頼した結果でさえ、妊娠は難しいと言われていたらしく、望まぬ覚悟もやむを得なかったのかも知れない。とはいえ、人一倍子供好きで、常に子供と接する仕事をして過ごしてきた妻にとって、この状況がどれ程ショックなことだっただろうか。思い返せば、妻と交際を始めた際、「子供を産めないかもしれないの、それでもいい?」と私に言った妻の表情は様々な感情が含まれた、とても悲しげなものだった。
私としては、たとえ子供が出来なかったとしても妻を思う気持ちには変わりはないし、こだわり過ぎて夫婦の仲が壊れることは絶対にあってはならないと考えていた。私はなるべく妊娠や出産のことには触れないようにし、夫婦二人で旅行も出来るし共通の趣味を楽しむことも出来る、人生を楽しむ方法はいくつもある、と事あるごとに話していた矢先のことである。仕事帰りにいつものように妻へ電話したところ、明らかに興奮した様子の妻から思いもよらない一言を聞かされた。
「私、妊娠したわぁ!」
普通ならばおめでとう、ありがとう等の言葉を掛けてあげるのが夫の勤めなのだろう。嬉しくない訳がない、半ば諦めかけていた妊娠がこんなに早く、現実のものになったのだ。だが突然の吉報をもたらした妻に対して私の言葉は「なんでやねん!」の一言だった。これまでの妻の不安はなんだったのだろうか。当時の私達は可愛くてやんちゃな息子が将来私達の元にやってくることはまだ知らない。ともあれ、この妊娠という奇跡は私達にとって最高の贈り物である。私はこの最高のなんでやねん記念日を決して忘れない。