持田ヘルスケア株式会社

スキナベーブ エッセイコンテスト

【第10回】
~ 赤ちゃんとの記念日 ~

入選

おっぱい

長野県  主婦  38歳

5年に及ぶ不妊治療の末、念願の子宝に恵まれた。
6か月検診の頃には『女の子』だとわかり、旦那と子供のいる日々を夢見て待ちに待った出産の日を迎えた。
12時間の陣痛の後、会いたくて待ち焦がれた赤ちゃんに対面できた。これから、この子を育てるのだ。母になるのだ。
育てる。。。といえば、おっぱい。
産科で教わった通り、私は一カ月以上も前からおっぱいマッサージをしていた。赤ちゃんにおいしいおっぱいをいっぱい飲ませてあげたい、それだけだった。
出産後、初めての授乳の時間。「ほーら、赤ちゃんに乳首をすわせて。。」助産師さんに言われた通りに吸わせた。5分後、体重を計ると増加0kg。それは、おっぱいが一滴も出ていないことを示していた。「それでは、赤ちゃんにはブドウ糖液を飲ませてください。お母さんはおっぱいマッサージで自分で絞って哺乳瓶にとっておいてください」
次の授乳も、その次の授乳も、そのまた次の授乳も、、、、
私は赤ちゃんにおっぱいを飲ませてあげられなかった。哺乳瓶にやっと絞った3滴ほどの母乳をブドウ糖液にまぜ、哺乳瓶で与えた。
周りのお母さんたちは、幸せそうに赤ちゃんにおっぱいを飲ませていた。赤ちゃんたちも目を閉じうっとりとしていた。
でも、私と言えば出ないおっぱいをひたすらマッサージし母乳を絞り出すだけ。赤ちゃんは床にゴロンと寝かしたまま、抱く時間もない。
『なんて、この子はかわいそうなんだろう。。。こんな母親から生まれてしまって。。。おっぱいも出ないようなこんな母親で本当にごめんね。。。』
赤ちゃんに申し訳なくて申し訳なくて、私はボロボロ泣きながらおっぱいを絞った。赤ちゃんはただ私をジーッと見つめていた。
泣いても泣いても涙が止まらなかった。この涙が全部おっぱいならいいのに!!!
次の瞬間、一人の助産師さんが私の手をとり、かわりにおっぱいマッサージをしてくれた。
「お母さん、せつないね、せつないね。。。」ふと見ると彼女は涙をポタポタとこぼしていた。「大丈夫、大丈夫だから。おっぱいでなくても大丈夫だから。ミルクだけでも子は育つから。」
次の授乳時間から、私は気持ちを切り替えることにした。泣いてばかりじゃお母さんになんてなれないじゃん!ミルクだけだって大丈夫だ、信じよう。彼女の涙が私に何かをくれた。
今、娘は4歳。ありあまるほどの元気をもてあまして、庭中かけまわっている。結局、退院後少しずつおっぱいは出始め、助産師さん達が「奇跡だぁ!」と拍手してくれたっけ。6か月まで混合授乳でいけた。
今思えば、あの助産師さんの涙を見た日が私に母としての自覚と勇気をくれた日だった。ありがとう。

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