【第10回】
~ 赤ちゃんとの記念日 ~
優秀賞
エイプリルフールな愛娘
84票 今田 尚揮 北海道 会社員 37歳
二年前の四月一日。娘が産まれたと同時に,僕と妻がパパとママになった記念日だ。当初の予定日は四月二日だったのだが,一日早く産まれたことで早生まれになってしまった。しかも産まれたのは午後十一時。もう一時間遅ければ学年がひとつ下だったのだ。
そのため,妻が陣痛で苦しんでいる間,不謹慎だが僕は心の中で,「まだ出てこなくていいよ」と思っていた。子供にとっての一年は大きい。同じクラスの中で,誕生日が遅いというだけで他の子よりも体が小さかったり,運動能力が劣っていれば可哀想だという親心が働いた。
しかし,そんな思いとは裏腹に,娘は元気に産まれた。どうしてもエイプリルフールに生まれたかったらしい。それもそのはず,娘は誕生からいきなり僕たちを驚かせたのだ。産まれるその瞬間まで,僕も妻も,男の子だと確信していたからだ。妊婦検診ではあえて性別を聞かなかったのだが,妻は妊娠中,男の子と遊ぶ夢を見たと言うし,義母も男の子が産まれる夢を見たと言うので,「これは絶対男の子だ」と確信していたのである。(今思うと勝手な思い込みなのだが)
産まれた瞬間のオギャアという声を翻訳すると,「ジャーン!女の子でした~!」ということになるのだろう。(これまた勝手な翻訳なのだが)
ところが驚いたのも束の間。女の子ならではの圧倒的な可愛らしさに魅了された僕たちは,つくづく女の子でよかったと思うようになった。一日違いで早生まれになったことも,むしろ娘の個性のようにさえ思えてきた。
そうして元気に育った娘だが,一歳の誕生日に高熱を出した。検査の結果,医師からは腎臓の病気の可能性が高いと言われ,即入院。点滴の管を手に刺したままベビーベッドの中に閉じ込められ,尿が出ず顔がむくんで目も半分しか開けられない娘の姿に,胸が引き裂かれる思いがした。手術?人工透析?いろんなことを想像しては娘が可哀想で可哀想でたまらなかった。検査や注射のたびに泣きわめく娘。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔。ただ抱きしめて励ますことしかできない自分があまりに無力で泣きたくなった。しかし,ここで泣いてはいけないと思い,泣かなかった。絶対に良くなると信じて妻と交代で病院に泊まり込み,励まし続けた。
すると二週間が経過した頃,徐々に回復し始めた。熱が下がるにつれて顔のむくみも取れ,腎臓の数値も正常値に近くなってきた。医師から,「何かのウイルスによる一時的な腎機能の低下だったと思われます。検査の結果は良好です。退院して大丈夫ですよ」と言われたとき,嬉しさのあまり,僕も妻も堪えきれずに泣いた。神様に感謝した。
すると椅子に座っている僕の頭を,何かが撫でた。見るとベビーベッドの柵の間から,娘が短い腕を伸ばしていた。「パパ,よしよし」という声が聞こえ,医師も看護師も妻も僕も,皆が笑いに包まれた。娘のいたずらな笑顔は,「病気なんてうっそだよ~」と言っているように見えた。
そんな娘も二歳になり,おしゃべりも達者になった。バスタオルを頭に被って「おばけだぞ~」と言う娘に,「キャアこわい~」と逃げる。すると娘は「うっそだよ~」と満面の笑顔を出して喜んでいる。ますます可愛くなってきた娘の成長が嬉しくてたまらない。
しかしその一方で僕は,徐々に親離れしていく娘の姿を想像しては寂しくなってしまう。「パパ臭いから嫌い」と言う日が来るのだろうか。親と出かけるのが嫌と言う日が来るのだろうか。家に彼氏を連れてくる日が来るのだろうか。そして嫁に行ってしまう日が来るのだろうか。
それでも,エイプリルフール生まれの愛娘はきっと,「うっそだよ~」といたずらな笑顔で言ってくれるような気がしている。そんな僕はきっと,親バカなんだろうなぁ。