【第1回】
~ 妊娠・出産、新しい生命の誕生に接して ~
佳作
「我慢強い人」
【看護婦助産婦部門】 渡辺 恵美 大分県 助産婦 35歳
私と彼女は幼なじみの仲であり、彼女の性格はよく知っていた。…つもりだった。
平成七年一月の寒い朝、彼女から電話があった。「あっ、恵美、陣痛が始まったわ。今から病院に行くけん、よろしく」私は分かったと返事をし、直ぐ出かける用意をした。
彼女は助産婦である私を頼ってきてくれて、私の勤め先の病院で出産予定の妊婦だった。二度の辛い流産の後やっと出産までこぎつけたのだ。ここまでこられて本当に良かったね…。さあ、後は産むだけよ。まかしといて!
ずっと付いててあげるから。まだ産まれてもいないのに私はひとりで感動していた。
彼女と私は子どもの頃、一緒に剣道場に通っていた。小柄だが一つ歳上の彼女は、お姉さんらしく優しく、しかし心が強い女の子で、剣道も強く、そこいらの男の子など太刀打ちできないほど気合も技も力もすごかった。大人になり看護婦の道を歩き出したが、やはり控えめでありながらも心の強い─我慢強い人─のイメージだった。きっとお産も歯を食いしばって耐えるだろう…。
そう思いながら病院に着いてみると、まだ子宮口開大2㎝。お腹の張りもたいした事ない。が、そのわりには苦痛顔貌。これは私も覚悟せんと大変そうだわ…、と感じた。彼女は三十一歳の初産。難産や騒ぎまくる産婦に付き添うのは、看護側も心身ともに大変なのだ…。それでも彼女は陣痛間歇時には余裕の笑顔を見せ、「ごめんね、日曜日に。まだいいよ。がまんできるから」と言った。
私はその場を失敬し、昼にまた見舞った。しかしあまり変化なく、やっと夜になって痛みが本格化したので、それからは付き添う事にした。
だんだんと彼女は声を荒げて「痛い!痛い!」と叫ぶようになっていった。私も一生懸命呼吸法を教え、腰をさする。しかし、少しずつしか子宮口は開かない。1㎝開大するのにたっぷり二時間はかかる状態だった。朝が来て、昼が来て、時には微弱陣痛となりウトウト仮眠したりした。
また夜が来た。彼女はパニック寸前状態で、発作時にはターザンの様にすごい声で吠えまくった。彼女もかわいそうだが、付いているこっちもヘトヘトだ。彼女の実母や夫と時々交代するが、すさまじく痛がる産婦に心配なものの、どうしていいか分からない、といった様子。私は、まっいいか。児心音は良いし、少しずつではあるけど、確実に分娩は進行しているし…気長にいくしかないな。など思いながら、眠い目をこすった。
そして、草木も眠る丑みつ時に子宮口全開、さらにそれから二時間後、残っている力をすべて出し、元気の良い女の子を出産した。彼女は産まれたての赤ん坊を見つめ、涙ぐんでいた。私はこの瞬間が、産婦人科の一番すてきな時だといつも思う。分娩室にいる皆が心から楽しくなるもの。ましてや親友のお産だ。こっちまで目頭が熱くなる。
ところで私は彼女の、このすごい声とベビーの産声をテープにとってやろうという企みがあり、外回りの看護婦さんに合図してスイッチを入れてもらい、うまい具合に目的のふたつを入れた。先生がベビーの口を吸引しながら、「はいはい、おじいちゃんが外で待ってますよー」と言ったのまで入ってしまったのは誤算だったけど。…先生勘違いしている。確かに老けてハゲているけど、外で待っているのはこの子のお父さんです。…悪いと思いながらおかしくてたまらなかった。
母子ともに元気。母乳分泌も良好。赤ん坊は〝真穂〟ちゃんと名付けられた。
それにしても、あの我慢強いと信じていた人がこんなに騒ぐとは…。出産時はギリギリに追いつめられるから、結構本性が出てくるものである。私は何となくニンマリする。心の強い彼女も尊敬するけど、ターザンに変身する彼女も大好きだ。
時々私は彼女に、「マミー、ターザンのテープ聞いてみろーよー」へへへと笑いながら言う。「うるさい。捨てられんけど絶対聞かない!」と彼女は答える。
フフ、だけど真穂ちゃんが大きくなって、このテープが聞きたいと言い出したら仕方ない、でしょ。きっと真穂ちゃんも感動すると思うよ。あなたがこんなに苦労して自分を産んでくれたのだという事の証だもの、と思う。
彼女はその二年半後、二人目を出産する。二人目はとても早く、あっという間にできたため、たいしたターザンにはならなかった。
「マミ、経産になったらたいして痛くないやろ。あんたもう一人ぐらい産みよー」と、出産後に声をかけると、「もう産まん!エミーあんた早く結婚セー!子ども産めー!」と言われた。「うーん、マミ。そいつは痛いなー」。私たちのおバカな会話を周りの先生や看護婦さんが笑って聞いていた。