【第1回】
~ 妊娠・出産、新しい生命の誕生に接して ~
優秀賞
「おめでとうございます」のメッセージ
【看護婦助産婦部門】 西村 雅代 広島県 助産婦 38歳
助産婦としてたくさんの赤ちゃんをとり上げてきて、一番最初にお母さんにいうことば。
「おめでとうございます」
このことばを口にする度、忘れられないことがあります。
何年か前のその日、いつものように、私はある初産婦さんの出産に立ち合っていました。
赤ちゃんは産まれるまでに、回旋をしながら産まれてくるのですが、頭がすっかり出てくる第3回旋、肩が出やすいよう、身体ごと横に向く第4回旋、その時見えた赤ちゃんの顔は、ダウン症候群と呼ばれる顔にそっくりだったのです。(今のは、首の所で締まってて、ほっぺでギュッと圧迫されていたから、そう見えたんだ。ちゃんと産まれたら大丈夫。普通の赤ちゃんにちがいない)祈るような思いで、前在、後在の肩を出し、とり上げました。吸引し、啼泣したその子は、やはりダウン症候群と思われる顔でした。
私も側にいた医師も、とっさに息を呑んでやっと「○○さん、女の子ですよ」と声をかけることができたのでした。
その後医師がお母さんの処置をしている間私は計測中の赤ちゃんの側へ行ってみました。間違いない。猿線もある。今までダウン症候群の疑いのある子もいたけど、直接とり上げたのは初めて。どうしよう。どう対応したらいいのだろう。
赤ちゃんをお母さんの所へ、連れていく。気付かないだろうか。
「かわいい。主人に似てるわ。目も、このお手々も」はしゃぐような彼女に、うなづきながら思った。まだ気付いていない。
しかし、その後赤ちゃんが合併症の疑いもあり、NICUのある病院に赤ちゃんだけ運ばれることになり、医師から家族へ、家族から母親へと、病状とともに、ダウン症候群疑いということも、知らされてしまいました。
出産後、ホルモンの変調によるマタニティーブルーということばもあるようなこの時期に知らされてしまった彼女の苦しみはどれほど大きいものだったでしょう。
「私は若いのに、なぜ?」「ダウン症候群の子のことは、よく知ってる。出産後そうじゃないかと、こわかった。だから必死で、私や主人に似ている所を探そうとしたのに」「産まなければよかった」「あの子をかわいいと思う日がくるなんて考えられない」「障害のある子を産んだことのない、あなたになんかわかるはずがない」。
その中で最も私をうちのめしたことばは、「あなたは私に『おめでとうございます』といってくれなかった!」
そうなのだ。あの日私は、このひとことを忘れた訳ではなかった。いうことができなかった。産まれない方が良いというわけではないが、これからこの母子を、どんな苦難や悲嘆が待ちうけているか。そう思うと、こわくていえなかった。
母親の鋭い直感で、彼女に悟られ、指摘されてしまったのです。
彼女の態度は、悲しみを受容していく過程で最初に現れる当然の反応であると、理解はしていても、目の前で苦しんでいる彼女を見ながら「おめでとうございます」をいえなかった自分を責めていました。
彼女がそのまま退院してしまった後も、ずっと心の中で考え続けました。
そんなことを考えていたある時「さっちゃんのまほうの手」という絵本と、四肢障害児を支える家族の会の活動を紹介する催しがあり、出かけてみました。そこで、たくさんのステキな笑顔に出合うことができました。
この笑顔にたどりつくまで、皆苦しんだり悲しんだりしたんだろうけど、きっと乗りこえることができるんだ。母と子の力ってきっともっとすごいものなんだ。障害の種類も程度も違うけど、あの母子も絶対こんなステキな笑顔になれるにちがいない、そう信じることができました。
それから一年くらいたったでしょうか。
彼女が娘さんを大事そうに抱いて病院に寄ってくれました。
「こんなに大きくなりました」と笑顔で。
かわいいふわふわの服を着た女の子は、私がおいでと手をさしのべても、母親である彼女にすがりつき、彼女も、宝もののように、ほっぺとほっぺをくっつけて、ステキな笑顔で笑ったのです。「この子のいない生活なんて、考えられない」といって。
だから私は、これからも、どんな赤ちゃんにも「おめでとうございます」ということができます。その子の人生のスタートを、祝福のことばで、迎えてあげたい。「産まれてきてよかったね。幸せになるんだよ」というメッセージも込めて。