【第1回】
~ 妊娠・出産、新しい生命の誕生に接して ~
佳作
『出 会 い』
【看護婦助産婦部門】 荻原 優子 山梨県 看護学生 25歳
赤ちゃんが誕生したのは、その冬一番寒かったといわれる夜、まだ消防署を出きっていない救急車の中だった。
その日私は、十六時半から零時半までの準夜勤と呼ばれる勤務だった。二十一時の病棟の消灯時間が過ぎて、もう患者はみな寝静まっているにもかかわらず大きな音で電話が鳴り響いた。外来看護婦から、お産のための入院を知らせる電話だった。
これから妊婦が来る。私は、病棟での受け入れ準備をするために、まず新生児室へ行った。今、お産を終えて入院している親子は四組であるが、みな産後三日を過ぎているため母児同室になっていた。暗く冷たい八畳ほどの新生児室の明かりをつけ、六つ並んだ空っぽのベビーベッドのひとつにまだ名前の書かれていないネームプレートを用意した後、部屋のエアコンと保育器の電源を入れた。こんなに寒くっちゃ、産まれるまでに暖まらないかもしれないかなと思いつつ、設定温度を最高にして部屋を出た。
幸い分娩室は詰所の隣りにあったので、私はさほど寒いと感じることもなかったが、ほとんど裸になってふんばる母親のために、部屋を暖かくして迎えてあげたいという気持ちもあってエアコンのスイッチを入れた。実際は産まれてくる赤ちゃんが低体温になるのを防ぐためということもあるのだが、その夜は夕方からミシミシと音を立てながら結露で濡れた窓ガラスが凍り付いていくほど冷え込んでいたのでそんな気持ちも持ってしまった。
救急外来から『応援頼む』とメッセージが入り、ポケベルが鳴った。病棟の突き当たりの真っ暗な階段を目を凝らしながら降りると、冷え冷えとした外来の廊下が続き、突き当たりの救急外来の部屋の電気だけが晧晧とついていた。そっとドアを開けると、
「さっき電話があった妊婦さん、途中で産まれそうになったらしくて旦那さんが消防署に駆け込んだんだって。上の消防署から電話があって先生にはこっちに来てもらったよ」
と外来看護婦と先生が、落ち着き払った様子で外来での受け入れ準備をしながら話してくれた。
病院は山間地域、県境の峠を通る一本の県道の途中に建っている。お産のために自宅から病院まで来るのにも、その県道に出て来るまでに時間がかかり、ひと苦労なのである。
凍結した山道を下りながら、助手席で悲鳴に近い喘ぎ声を上げている妻を気にしつつ運転してくるのは、旦那さんも大変だろう。思わず消防署に駆け込みたくなる気持ちも分からないでもないかな…と苦笑しあっていた。
そんなやり取りをしているうちに、遠くから近づいて来た救急車のサイレンが間近で聞こえなくなったかと思うと、すりガラスの向こうに赤いランプの点滅が見えた。扉を開けて入ってくる救急隊員と担架は、底冷えするような冷たい空気と一緒にやって来た。
「産まれているんです」
そう救急隊員が叫んだ瞬間、それまで和やかだった雰囲気が一変した。誰もが険しい顔付きになり、先生と外来看護婦が血相を変えて担架に駆け寄った。私は、それとは逆に廊下側の戸棚へ向った。赤ちゃんを包み新生児室まで運ぶためのタオルと毛布を引っつかみ振り返ると、
「臍帯クリップ」
そう叫んですでに担架に駆け寄っている先生が、妊婦にかかっている毛布を剥ぎ取り処置をはじめているようであった。遅れて駆け寄った私からタオルを奪うようにしてもぎ取った外来看護婦は、母親の股の間をまさぐると自分は胎盤の処置をするため母親のほうを向いたまま、赤ちゃんを包み込んで後ろ手に私に差し出した。その赤ちゃんをタオルで覆いくるみながらしっかり腕に抱え込み、私は急いできびすを返した。廊下に出る寸前、腕の中でうごめきを感じ不意に目線を落として立ち止まった。泣き声はしないものの、ピンク色のほっぺたに両手を当ててむずむずとしている赤ちゃんがいた。良かった元気だ…。そう思いひと安心して再び足早に新生児室に向かった。
後日、きっと私のことなど覚えていないだろうという気持ちで病室を覗くと、六人部屋の窓際のベットにあの時の騒ぎなどなかったかのようにほかの母親達と授乳指導を受けている親子の姿があった。あの後も順調に経過したんだなぁと思いながら眺めていると、
「あっ、あの時の看護婦さんですよね、ありがとうございました」
と軽く会釈を返された。母親は、
「途中消防署へ駆け込んだまではよかったんだけど、救急車に乗った瞬間赤ちゃんは産まれてしまうし、消防隊員の人はどうしていいかわからなくて、『とりあえず保温しなくちゃ』って耳元でおろおろしているし…。病院に着いたと思ったらお医者さんや看護婦さんが真剣な顔して何も言わないで黙々と何かしているから、すごく怖かったんですよ。救急車が走り出してから、『赤ちゃんは?赤ちゃんはどうなったの』って聞きたくても聞ける状況じゃなくて。でもね、看護婦さんが部屋を出て行く時にうちの子を見て笑ったんですよ。その時にね、『ああっ、生きてるんだな、大丈夫なんだな』ってほっとしました。そしたら急に気が抜けちゃって、お腹が痛いこととか、扉を開けっ放しで寒いこととか、もういいやって。消防隊員の人がそわそわしながら『大丈夫だからね、赤ちゃんも大丈夫だからね』って私の顔を覗き込むようにして言うんですよ。何だかおかしくなっちゃってね、おもわず心配そうな顔してる旦那を見て笑っちゃいました。旦那には『何がおかしいんだよ』って本気で怒られちゃいましたけどね」
とその時の様子を話してくれた。
母親の腕に抱かれて何にも知らないような顔をして眠っている赤ちゃんを見ていて、いつのまにか微笑んでいる自分に気づいた。看護婦を辞めてしまいたいと思った時もあった。しかしこういう瞬間があるからこそ、どんなに大変な毎日が続いたとしても乗り越えて行けてしまうのだ。こういう出会いの積み重ねが、今の私の支えとなっているのかもしれない。