【第6回】~ 赤ちゃんが教えてくれた喜び ~
入選
・赤ちゃんの力
【一般部門】
大分県 公務員 57歳
私は五十代後半の男である、と書くと、女性向けのこのようなコンテストに応募する動機はなんだろうかとか、誰の赤ちゃんのことだろうかとか思われるかも知れない。
そうか孫のことか、いや、ひょっとすると遅すぎる結婚、あるいは再婚の遅すぎる子どものことか、と思われてしまうかも知れない。
しかし、残念ながらいずれも違っている。
話は約二十一年前にさかのぼる。
当時五歳の男の子が一人しかいなかった私たち夫婦は一人っ子家庭として過ごしていたが、昭和六十年四月に仕事の都合で住み慣れた大分市から国東町(現国東市)へ転居することとなり、それまでの便利な生活環境から一転して不便な環境に変わった。
生活環境が大幅に変わったということもあったためか、予期せぬことに翌年妊娠がわかり、九月の出産を待っこととなった。この間、女の子だろうとか、いや男の子かも、とか色々考えたが、好事魔多し、妊娠後期に妻が妊娠中毒症になり、危うい場面もあった。
出産は国東町の産婦人科医院にお世話になったが、初産の時と違って比較的安産であった。体重は約三千六百㌘と大きめで、身長も標準よりかなりある立派な男の子であった。
女の子だろうと予想していた私たちは肩すかしを食った感じではあったが、無事に生まれたことを素直に喜んだ。
医院が職場から近かったこともあり、それから私は毎日仕事の合間を縫って病院へ足を運んだ。むろん妻の見舞いと赤ちゃんを見るためである。といっても赤ちゃんの方が主目的だったのだが。
新生児室の次男は妻に似たのか、男の子にしてはかなり色白で、手や足をモゾモゾ動かしながら、また時にはあくびをしたり頭を動かしたりしていた。
そんなある時、次男が、弱々しいながらも、まばたきをしたことがあり、意外に目がパッチリしているのに私は驚かされた。
眠った顔の目の周りはどちらかというと私似のような気がしていたので、私と違う二重の大きな目の次男にホッとした私であった。 女の子でもないのに、自分に似ていないのを喜ぶ父親も変ではあるが、男の子とはいえ、まあ、可愛いに越したことはないということである。
いずれにしても、一人っ子と諦めていた私たちに神様がくれたプレゼントに感謝しつつ立派に育てることが使命と、二人で子育てに邁進することとしたのである。
退院前に少し熱を出したり、退院後耳の治療を指示されたりと、波乱の子育てレースのスタートであった。
頭の周りが平均より大きいため、風呂に入れるのは手の大きい私の役目で、二人目なので慣れてはいたが、六年のブランクがあったこともあり、しかも、最初の頃はビックリするのか、ピクンと体を動かす子どもの入浴は大汗ものであった。
ミルク育ちの長男と違って、授乳はもっぱら母乳だったため私はそれほど夜中に起こされることはなかったが、妻が疲れた時などにミルクを作って飲ませていた。特に、昼間は、私が次男を抱っこしてミルクを飲ませる姿を長男が物珍しそうに側で見たりしていた。
そんなある日、長男と一緒に交代でほ乳瓶を持ち、ミルクを飲ませていた時、次男の眼を見ながら「あー」と何度も呼びかけてみた。何度も繰り返すうち不思議なことに、小さいながらも「ァー」と一回発声した様に聞こえたのである。
長男も、「ママ!今『ァー』と言ったよ」と喜んだ。妻は、「まだほんの数ヶ月の赤ちゃんが喋らないわよ」と言ったが、私は今でもあの時確かに発声したのだと信じている。
そんな次男もいよいよ今年は二十歳になるが、ホッとしている今日この頃である。