笑顔がくれた|赤ちゃんの沐浴はスキナベーブ

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持田ヘルスケア株式会社

エッセイコンテスト

スキナベーブ 赤ちゃんエッセイコンテスト

【第5回】~ 赤ちゃんと笑顔 ~

入選

・笑顔がくれた

【一般部門】
愛知県  会社員  29歳

「行ってらっしゃーい」。毎朝、六カ月の息子を抱っこして、出勤する夫の後姿に手を振る。お父さんが大好きな息子も、何度も何度も振り向いては手を振り返す夫に、極上の笑顔で応える。―幸せ。その一言が、照れもなく、素直に心に染みてくる。今ではご近所でもすっかり評判になってしまった、我が家の玄関先でのこの光景。産休前の私は夢見て憧れるどころか、想像すらしなかった。会社ではバリバリ仕事をこなし、仕事仲間や取引先との酒の席は必ず最後までつきあい、朝帰りもしばしば―。母性とは縁のない無茶苦茶な生活を送っていた私に、母、妻、嫁としての幸せを教えてくれたのは、息子の誕生、そしてその笑顔に他ならない。
私は大学を卒業後、生まれ故郷の大阪を離れ、企業情報を専門に扱う名古屋の小さな新聞社に就職、記者として働き始めた。弱小新聞社でも記者は記者。時には人の心を打つような記事を書きたいと、ただガムシャラに取材に回った。“記者は足が命”がモットー。時には夜中まで張り込み、会社に泊まりこんで記事を書いた。「女性記者は色気でネタを取る」―。そう言われることが許せなくて、男性以上の働きを目指した。
夫は同じ会社の先輩記者。妥協しない取材姿勢を常に尊敬していた人だった。夫は私の記者としての将来性を認めてくれ、結婚後も仕事を続けることを強く勧めてくれた。
結婚後、まもなく妊娠が分かった。それは結婚式からわずか十日後に、舅が六十五歳の若さで他界した直後のことだった。「親父には迷惑のかけ通しで親孝行らしいこと一つ出来なかった」と暗く沈んでいた夫も、ともに暮らし始めた姑にも、久々の笑顔をもたらした。「お父さんの生まれ変わりじゃろうか」―。近所のお婆さんたちの言葉が、気丈に振る舞いつづける姑を少しでも元気付けてくれればいいと思った。
しかし、私には同時にどうしようもない不安が襲い掛かった。兼業ながらも農家の家に嫁いだ私に、子育てをしながら、仕事を続けながら嫁としてやっていけるだろうか―。つい先日まで男性以上の仕事っぷりが自慢だった私の気持ちはへなへなと力を失っていた。
妊娠三カ月でひどいつわりに悩まされた。ちょうどその頃、私が受け持つ取材エリアで、大手自動車メーカーが倒産の危機に陥り、その取材で連日深夜まで取材を続けていた。気分の悪さでビニール袋が手放せない。そしてそんな無理が祟ったのか、ついに切迫流産で深夜に病院に担ぎ込まれた。約一ヶ月の入院で、どうにかお腹の赤ちゃんは落ち着き、流産は免れた。しかしその後も、じんましん、妊娠中毒とトラブルが続く―。
これはもう、私の体が赤ちゃんの存在を拒否しているに違いない―。男らしく働きたいという想いが、母親になることを拒んでいる。私はそんな否定的な考えにとりつかれたまま、ついに出産を迎えてしまった。
出産は最初の陣痛から約十三時間後のこと。生まれきる前からびっくりするほど大きな声で鳴いていた。「おめでとう。立派な男の子ですよ」ぼんやりした頭で私は自分に祝福の言葉をあげた。息子の姿に、物事にあまり動じない夫も涙を流していた、と実家の両親が教えてくれた。
初めての沐浴できれいさっぱりの顔になり、おくるみに包まれて私の病室に運ばれてきたとき、夫も姑も実家の両親も、みんなが同じ顔をしていた。私はまだぼんやりする頭で「笑顔って、みんな同じ顔なんだなあ」と思った。
あれから半年。息子は私や夫、姑、実家の両親に“お返し”するかのように満面の笑顔を向けてくれる。そんな息子を腕に抱いて毎朝夫を見送る私に、もう、不安はない。この子の母として、嫁として、社会人として生きていける。息子の笑顔は私に自信をくれた。

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