【第14回】~ 赤ちゃんとの出会い ~
入選
・星降る夜に
愛知県 主婦 女性 51歳
二〇〇一年十一月一七日。四八センチ、二六〇〇グラムの男の子誕生。自分の意志や力などではどうすることもできないことがあるのだろうと、思い知らされた一日だった。
明け方三時半すぎ、トイレで破水してあわてて病院へ電話し、完璧には用意のできていなかった入院準備を急遽整え、主人の車で病院へ。「破水してしまっているので、お昼までに陣痛が無ければ、赤ちゃんの為に陣痛促進剤を使って出産しましょう。」と、当直の医師に言われた。出産予定日まで、まだ四週以上あったのだけれど。
前日の十六日、「まだひと月近くある。」そう思ってのんびり構えていた。お昼は親しい友人とランチに出かけた。軽い運動も兼ねて、徒歩十数分のお店。「産まれたら連絡するから、待っててね。」「うん、待ってるね。」そんな他愛もない会話をして、穏やかな午後を過ごした。
ベビーベッドは、次の連休に買いに行く予定だった。本来なら、妊娠七カ月くらいまでには、出産の準備を整えておくつもりだった。出産準備の雑誌にだって、そんなふうに書いてある。
でも、私たち夫婦には、それができない事情があった。私の両親が、二人とも介護が必要になっていたからだ。父は一年前、小脳出血で倒れ、言語、身体に後遺症が残り、加えて脳血管性痴呆症(当時。現認知症)となり、要介護3と認定され老人保健施設に入所。母はアルツハイマー病で要支援と認定され、ケアハウスに住居を移していた。
なかなか子供に恵まれず、子宮外妊娠での手術、両親の介護。一度は諦めかけた私たち夫婦だったけれど、両親をそれぞれ預けることができ、ほっとした時に、思いがけず授かることができたのだった。
一人っ子の私は、つわりが治まり安定期に入ってから、実家の片付けに追われ、出産の準備はすっかり後まわしになっていたのだ。
外側の準備のことなどお構い無しで、自分の準備をすっかり整えてしまったらしい息子は、『早産』という形で産まれてきたにもかかわらず、未熟児にはならなかったのだった。
朝、八時半に診察を受け、再び陣痛促進剤を使用する可能性を説明され、九時過ぎに病室に戻ったが、九時二十三分、突然陣痛が始まり時間の間隔を記録しようと構えたが、いきなり三分間隔で痛みに襲われた為、ナースコール。薬をまだ使っていないせいか、部屋へ入るなり、「そんなに早く産まれませんよ。」とぶっきら棒な言葉を投げてきた若い看護婦だったが、一応車椅子に乗せられて、陣痛室へ。あまりの痛みの激しさにベッドから落ち、再び破水。婦長が見に来た時には、完全に子宮口が開いているからと慌てて分娩室へ移され、十一時十五分。最初の陣痛から二時間足らず、あっという間の超スピード出産。取り上げてくださった先生が、「経産婦さん顔負けの早さですね。」とおっしゃった。
ところが、分娩中から二百を超えた血圧は夜になっても一向に下がらず、絶対安静を言い渡され、ベッドから起き上がれなくなってしまった。
日常的にはなんの支障も無いけれど、普通より少し小さめらしい私の心臓は悲鳴を上げていたようだ。検診の度、「ちょっと大きめの赤ちゃんだよ。」と言われていた息子は、臨月までお腹の中にいたら、私の体が長時間の出産に耐えられないとわかっていたのだろうか。自分でさっさと準備を整え、さっさと私たちの元へとやって来た。
その夜は、奇しくもしし座流星群が出現した夜だった。病院のベッドで、カーテン越しにひと晩中、星が降るのを眺めていた。
元気な産声というわけにはいかず、「ヒーン、ヒーン」と泣きべそを堪えているような、小さな産声だったけれど、私以上に私のことをわかっていて、母を気遣うように産まれてきた息子は、当時も今も、ずっと私の宝物のままなのだ。