【第14回】~ 赤ちゃんとの出会い ~
入選
・滑り台
北海道 会社員 女性 32歳
義父はお洒落な人だった。
ボーダーのパーカー、ハンチング帽、黄色い丸メガネ。
私が義父を思い出す時の姿だ。
六年前の春、私たち夫婦は出会い彼はすぐに義父を紹介してくれた。
明るい光の入る病室で。
末期ガンだった。
その夏義父は亡くなった。
わずか三か月という短い期間だったが、幾度となく病室を訪れいろいろな話をした。
センスのいい若者が好むブランドのパーカーを着た義父に、私はある日一つのお願いごとをした。将来私たちに子供ができたときのために名前を考えてくれないかと。
そのとき考えてくれたのは男の子でも女の子でもいいように「悠」(ゆう)という名前だった。
そして五年の月日が経った。
私たちは一緒に暮らしていた。お互い仕事をして、犬猫を飼い、たまには旅行もし、その穏やかな生活にとても満足していた。結婚してもしなくてもその暮らしは変わらないと思っていた。一緒に住んでいるんだから夫婦のようなものだとも思っていた。そしていつの間にか五年が経っていたのだ。
しかし私が30歳の年に入籍し、その一か月後に妊娠していることがわかった。
結婚し妊娠し仕事を休み出産した。
結婚してから暮らしは一変した。
いや、妊娠してからすべてが変わったのだ。
よく二人で話すのが、もっと早くに結婚していたら、生まれてきた子供はこの子じゃなかったかもしれないということ。私の人生でこの子に会えなかったなんて今では考えられない。とても恐ろしいことだ。五年間結婚しなかったのはすべてこの子に会うためだったんだ。
生まれてきたのは男の子。現在生後六か月。名前は悠乃(ゆの)。
「悠」というお爺ちゃんからもらった最初で最後の贈り物に私たち夫婦が少しアレンジを加えてつけた名前。
おなかの中に悠乃がいたときに何度となく訪れた眠れぬ夜。いつものようにこれから体験するであろう出産について検索していたときに見つけた動画があった。【胎内記憶】を語る子供たちの動画だ。
その子供たちが一様に言うのは、生まれる前は天国のようなところにいてそこには大仏様のような人がいる。その大仏様にお母さんが映っているテレビを見せられ、数あるテレビの中から自分でお母さんを選ぶという。選んだテレビの下には滑り台があり、その滑り台を滑ってお母さんの子宮に入るのだそうだ。
この子が私を選んでくれた。
涙がとまらなかった。
早く早く会いたかった。
悠乃が話せるようになったら聞いてみるつもりだ。
生まれてくる前のことを。
そこにお洒落なおじいちゃんがいなかったか。滑り台でそっとおじいちゃんが悠乃の背中をおしてくれたんじゃないかなと私は密かに思っている。
今から悠乃と話すのが楽しみで仕方がない。
公園の滑り台で聞こうかな。