【第14回】~ 赤ちゃんとの出会い ~
佳作
・娘が教えてくれたこと
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小内 志帆
千葉県 助産師 34歳
私の育児…それは娘と出会った時から予想外の連続だった。助産院で夫立会いのもと出産するはずが、常位胎盤早期剥離(赤ちゃんが生まれてくる前に胎盤が剥がれてしまう状態)で大学病院に搬送され、緊急帝王切開になったのである。もちろん私の気持ちはついていけず、妙に落ち着いていたのは冷静でもなんでもなく思考停止していただけのことだった。私自身助産師として十年間働き、様々なお産に立ち会わせて頂いた。そして、いつも「お産とはいつ何が起こるかわからない命がけの仕事である」と感じていた。でもまさか自分の身に何かが起こるとは夢にも思わなかった。
理想とかけ離れた形でスタートした育児。これもまた予想外の連続だった。幸い娘の状態も安定し、手術当日から授乳を開始することができた。初めての授乳。夢にみた授乳。どんなに感動するかと思いきや「この子が私の子どもなんだ」で終わってしまった。もちろん可愛いのだが、他人事のような感覚だった。私は急変した状況と手術の影響で出産した実感が湧きにくくなっていたのである。娘と私は医学の
進歩のおかげで命拾いしたが、失ったものもあったのだ。その後、娘への母性を取り戻すまでに4ヶ月の時間を要した。それまでの間、娘のことを心から愛しいとは思えず罪悪感でいっぱいだった。
退院してからは怒涛の連続だった。夜泣きし、抱っこでやっと寝ても布団に寝かせるとまた泣き出す。抱っこし続けること3時間、ほのかに空が白んでゆく。今度こそと思い娘を布団に置くと、背中のスイッチが押されたかのようにまた泣き始めた。心身の限界に達していた私は思わず「寝てください」と土下座で号泣してしまった。そして隣で気持ち良く寝ている夫が無性に腹立たしく、何も悪くないのに当たり散らしてしまった。今思うと夫は早朝からの仕事に備えて寝ていたのに…可哀想なことをしたと思う。
私の思い描いていた育児は微塵もなく、そこにあるのは現実だった。育児と家事のエンドレスであっという間に時間は過ぎていく。家に引きこもりがちになる日々。そんな毎日の繰り返しに助産師としての自信はひとひらも残っていなかった。そんな時、夫が「たくさん学んでるね」と一言。初めは「なにが?」と思ったが、よくよく聞いてみると「苦労した分だけ母親として助産師として人として、成長できるね。この苦労が必ず実を結び、困っているお母さん方の支えになるはずだよ。この子が教えてくれているんだね」という意味だった。私は心のもやが一気に晴れ、暗いトンネルの出口に光が射しこんできたような感覚で溢れた。私は思い通りにいかないことばかりに目を向け、起こりうることの意味を見い出せずにいたのだ。
その日の夜、いつものように娘を寝かしつけるためお散歩へ。娘が上を指差している。見上げると満月と数個の星。「これを教えてくれたの?」と声をかけると満面の笑み。こんなにゆっくり空を見上げたのはいつぶりだろう…。子守唄を歌いながら夜空を眺めていると、エンジン音と点滅するひかりと共に飛行機がすーっと流れていった。のんびりな流れ星に思わず「この幸せが続きますように」と祈った。いつの間にか娘は眠りについていた。どんな夢をみているのだろうか。なんだか心が温かくなった。普段ならなかなか寝付かない娘にイライラしながら歩いていたのに、その日は心穏やかでいられた。
今も戸惑い悩む毎日だが、その時のことを笑って話せる。きっと未来の自分も今のことを笑って話すだろう。今まで声を荒げることなくそっと支えてくれた夫に感謝の気持ちでいっぱいだ。この人とならどんなことでも乗り越えられる。そう教えてくれたのも娘なのだ。
娘よ、私たちのところに来てくれてありがとう。