【第10回】~ 赤ちゃんとの記念日 ~
入選
・「お母さん」、ありがとう
神奈川県 会社員 27歳
『母は強し』
よく聞く言葉だが、私はその言葉の意味を正しく認識していなかったと思う。
妻が妊娠し、娘を出産するまでは…。
去年の夏、私と妻は、待望の赤ちゃんを授かり、出産育児本を買って自分なりに色々勉強を始めた。何しろ初めての事だし、男の自分には分からない事だらけだったからだ。妻はつわりがひどいタイプだったようで、本当に辛そうだった。きっと、本人にしてみれば「辛い」なんて一言では言い表せられないほどの苦しみだったと思う。食べ物は一切受け付けず、水さえも受け付けない。何とか1口だけでも飲んでみるものの、数分もしないうちに嘔吐なんて事しょっちゅうで、食品を見るだけで吐き気がすると言う。自宅で料理などはもってのほかで、私が外食した際に付いたであろう料理の匂いにも敏感に反応してしまい、妻はほとんど寝室に隔離状態だった。1ヶ月もしないうちに起き上がる事もままならなくなり、満足に食事をしていないからどんどん痩せ細っていった。恐らく、本人が一番気にしていただろうから決して口に出して言わなかったが、内心胎児は大丈夫なのか心配でたまらなかった。ちゃんと育っているのか、栄養はいっているのか…、と。どうにか山場を越えたのは秋頃で、相変わらず嘔吐三昧だったが、少しは食事を摂る事が出来るようになった。吐いてしまうので体重は一向に増えず、胎児が心配ではあったが、病院の先生によれば、赤ちゃんは順調に成長しているとの事だった。
そんな頃、またしても試練が妻を待ち受けていた。なんと、新型インフルエンザにかかったかもしれないのだ。咳が止まらず、高熱が続き、またまた寝たきり状態。妊婦なので薬の投与も制限され、妻の容態も、胎児への影響も心配だった。幸い、数日後には熱も下がり、徐々に咳も治まって回復したようだった。
冬になると、妻のお腹はどんどん大きくなり、歩くのも大変そうだった。今まで「妊婦さんは何かと大変」という認識こそあっても、具体的にどう大変なのかは分かっていなかったし、その生活ぶりを知る事はなかったが、妻の妊娠の経過を傍で見てきて、こんなにも大変なものなのかと痛感した。
妻は里帰り出産だったのだが、幸運にも出産に立ち会う事が出来た。私が病院に到着したのは、まさに生まれる十数分前で、そこには今まで見た事もないような、必死な妻の姿があった。今にも死にそうなくらい苦しそうで、何か自分に出来る事はないかと思ったが、自分に出来る事はなく、ただ隣で「頑張れ、もう少し」と声をかけるのが精一杯だった。出産で、男が出来る事などない、と痛感した瞬間だった。
生まれるまでは、「生まれたら、自分もいっぱい我が子の世話をするぞ」とずっと思っていたが、育児は私の想像を超えていた。夜中に1~2時間おきに大泣きする、抱っこしてもミルクをあげても泣き止まない、はじめは頑張っていても2日、3日と続くと正直疲れ果てていた。それは妻も同様だったろうし、出産の疲れで身体もまだ正常に戻っておらず辛かったろうが、赤ちゃんが泣けば夜中だろうと明け方だろうと起きて、必死に抱いていたのは本当に尊敬した。情けない事に、私は爆睡してしまい、大声で泣いていても気付かなかった事もあるのだが、妻はどんなに体調が悪くても、睡眠不足でも、直ぐ目を覚まし、世話をしていたようだ。ああ、母親というのは、こんなにもすごい人なのか。
妻の妊娠・出産を通して、私は、女性の強さ、母親の強さというものを改めて感じた。約10ヶ月、胎内で大事に育み、産んだその直後からここまで献身的に世話をする、これほどまで大きな愛情はないように思う。男にはとうてい真似出来ないのではないか…。この世で、母親こそ、偉大なる存在だと思う。すべての「お母さん」、ありがとう。