【第10回】~ 赤ちゃんとの記念日 ~
入選
・生まれて初めてのオムツ換え
大阪府 公務員 39歳
保育器の中にいる新生児のオムツ換えは、なかなかに難しい。なぜなら、
ひとつ、保育器には手が入れられる穴が2つしかない。
ふたつ、保育器には手が入れられる穴が横にしかない。
そんな厳しい条件化で、人生初のオムツ換えを強いられた男のエピソードである――。
僕の妻は、体が大きいほうでなく、むしろ日本人女性の中でも小さい部類に入る。その彼女が双子をおなかに宿した。小さな体に大きなお腹。まわりの心配をよそに、お腹の中の双子は、互いをけりあったり、押し合ったりと狭い空間をのびのびと過ごし、すくすくと育って、37週目で帝王切開にて無事出産。長男は2000グラムを少し超え、次男は2000グラムを少し割った。2人ともそのまま保育器行きとなり、新生児室で24時間体制、完全看護の下に預けられた。その間、この出産にあわせてとった育児休暇のおかげでやることのない僕は、お腹を切って動けない妻のために双子のそれぞれを保育器越しにビデオに収めては、ベッドに横たわる妻に見せるを3日ほど繰り返した。
「もう、めっちゃかわいいなぁ」
「見て見て、手なんかこんなにちっちゃいねんで!」
と、こちらが相好を崩すたびに、妻のほうは、どよーんと表情を暗くしていった。僕は保育器越しとはいえ、双子がムニョムニョと動く姿や、すやすやと眠る姿を直接見ることができる一方、妻は、ビデオに写る小さな画面越しでしか、わが子を見られないことが実は彼女のマタニティーブルーをさらに誘発させてしまった。自分のデリカシーのなさに柄にもなく反省していると、看護婦さんが
「オムツを換えてみない?」
と誘ってくれるではないか。
「ぜ、ぜひっ!」
と僕は息巻いて答えた。なんと言うことであろう。初のオムツ換えをこんな早い段階で、しかも妻よりも早く体験できるなんて!さっきまで猛省していたことなんて、微塵も感じさせず、鼻息荒く、紙オムツを手に保育器に並び立つ僕の姿は、もはや戦いの前の初陣兵である。
『オムツをはずしたら、すばやくおしりを拭き、すばやく新しいオムツと交換する』
という非常にありきたりなアドバイスを看護婦さんからいただいたが、そのときの僕は初陣を前に、ただただ興奮状態だったので、そのアドバイスを忘れてしまわぬよう、脳内でつぶやき続けた。
さあ、いざ出陣!とばかりに保育器に手を入れ、長男の服を下の部分だけ脱がす。が、ものすごく脱がせにくい。原因は、もう何より保育器だ。好きな方向から、好きな角度で手が動かせるわけではないこの透明な箱。その中にいる生後100時間も経っていない新生児の服を脱がせ、おしりを拭き、汚れたオムツをたたみつつ出し、新しいオムツと交換するという一連の単純作業すらままならない。もちろん初めてやるので、要領が悪いのは仕方がないとして、それにしても横から作業すると言うのは、こんなにもいらいらするものなのか。さっきの看護婦さんのアドバイスが僕の頭の中をぐるぐると回る。
「すばやく交換!」「すばやく交換!」
急がねばと思っているのに、おしりにこびりついた汚れがなかなか取れない。低体重児のか細い両足を片手で持ち上げているその手のほうに要らぬ力を加えないよう注意を払いながら、もたもたしているうちに、オムツをはずされた開放感からか長男が涼しげな顔で自身の顔にひっかけんばかりの放水を始めたではないか。
「ぎゃぁぁぁ、オーマイガー!あかん、あかんがなぁぁぁ!」
新生児室に僕の叫び声がむなしく響き渡る。
結局、オムツ交換どころか服まですべて交換するはめになった。
この後、3年後に生まれた三男のオムツがとれるまでの約7年に何千ものオムツを換え、オムツを換えさせたら、右に出る男はいない自称オムツマスターの称号を得た今でもこの初戦での敗北感は、いまだ癒えていない。