【第1回】~ 妊娠・出産、新しい生命の誕生に接して ~
佳作
・「車の中で赤ちゃんが生まれた」
【一般部門】
仲 光恵
大阪府 主婦 38歳
「おちんちんがついてるよ。男の子だよ」
聴覚障害者の私は、車のバックミラーごしに手話で夫に伝えた。夫は助手席のかばんからバスタオルをとって、私に渡してくれた。私は『大丈夫だろうか。なんともありませんように』と祈りながら、赤ちゃんをバスタオルにくるんで抱いた。
今となれば、夢のような出来事に思えるのだが、母子手帳にはしっかりと∧車中分娩∨と残っている。そして、もう一つアルバムにはさんでいる自分の記録を読むと、あの日のことが鮮明によみがえる。
─一九九二年五月八日─
朝、いつも通り娘を保育所に送った後、郵便局へ行き、帰宅後、部屋の片付けと衣替えをしていた。
十一時頃、痛みがきだした。七~八分おき。FAXを書いたりしていたら、あっという間にそれどころでなくなり、何とか実家へFAXするも通じない。夫の会社へFAX。昼にやっと通じた。実家にも通じた頃には、もう苦しくて、休む間もなく陣痛がきて、ただ座りこんで『お母さん、助けて』と叫ぶだけで精一杯だった。破水するのがわかった。
一時二十分。左手で食器棚の角、右手でテーブルの脚をつかんで苦しんでいた。夫が昼のFAXで心配して帰ってきてくれた。すぐ、車に乗せてもらい、病院へ向かう。車の後ろの席で上部にある取っ手様のものをつかんで苦しんでいると、赤ちゃんの頭が出てくるのがわかったので、パンツをぬいだ。自分でも赤ちゃんの頭が見えたので、もうこれは生んだ方がいいと思い、いきむとスーッと体も出て生まれてしまった。この時、一時四十五分。文の里駅近くの車道だった。丁度、赤信号で止まっていたところで、夫も見たそうだが、気が動転してよく覚えていないらしい。赤ちゃんが生きてるか心配で、ホッペをつついたりしているうちに病院に着いた。
夫も聴覚障害者で言語障害もある。守衛さんに口でうまく伝えられなくて、手まねきで『こっち、こっち』と呼び、玄関前に止めた車の中の私を指さした。ウインドーごしに事態を察した守衛さんが、すぐ電話で先生を読んでくれて、北中先生と看護婦さん二人がすっとんで来てくれた。車中で、へその緒を切る等の処置をしている間、私は聞いた。
「赤ちゃんは、大丈夫ですか」
「大丈夫」
との看護婦さんの返事に、まずは一安心。北中先生が、私の隣に座って、
「びっくりしたやろ。びっくりしたやろ」と、温和な顔で私の肩を優しくたたいていて下さった。こんな事になって、自分でもびっくりすると共に、落ち込んでいたので、先生の対応は本当にありがたく、暖かく感じられた。赤ちゃんと別々に運ばれて、一段落した後、赤ちゃんの体重を三千五百グラムと聞いて、又びっくり。早く生まれすぎて、低血糖の心配で二日間保育器に入ったけれど、それ以外は何も問題なく元気な赤ちゃんで、改めて家族で喜びをかみしめた。夫は、思いがけなく立会い分娩みたいになって、感激の面持ちであったが、先生も看護婦もいなくて、後ろで妻が苦しんでいて、自分は車の運転…と本当は、とてもこわかったと言っていた。
車中分娩の体験から一年後位の事と思うが、大阪市に聴覚障害者用緊急通報システムができた。これは、市と消防署と聴覚障害者、病院の連携システムで、聴覚障害者が、救急車又は消防車を呼びたい時、消防署にFAXすると、すぐに来てくれるシステムである。もし、このシステムが早く出来ていれば、私は家であんなに苦しんだあげく、車中分娩なんてことにならなかったのになと思ったりするけれど、車中分娩の感動と生命の尊さを、いつまでも忘れずに、子供達に伝えてあげられる貴重な体験だったと思える。でも、願わくば、まだ聴覚障害者用緊急通報システムのない市町村にも、このシステムを確立して、聴覚障害者が安心して暮らせるようになってほしい。
小学校一年生になった息子は
「ぼくって、車の中で生まれたんだよね」って、時々いとも簡単なことのように、あっけらかんと話してくれるが、もう少し大きくなったらどんな風に言ってくれるんだろうか。これからの成長が楽しみである。