【第1回】~ 妊娠・出産、新しい生命の誕生に接して ~
佳作
・『お願い。元気に生まれてきてね』
【一般部門】
奥西 恭子
大阪府 主婦 28歳
平成十年春、私達夫婦に待望の赤ちゃんが誕生しました。比較的大きな男の子です。でも誕生の喜びをかみしめる事ができたのは、ほんの数時間だけでした。
「そろそろ子供を…」と思ってすぐに出来た子供でした。妊娠中は初期につわりがひどく、体重が六㎏も減り、妊娠悪阻で十日間入院した後、順調に過ぎていきました。何の異常もなく、出産予定日を八日過ぎての出産でした。陣痛が始まってから十五時間、私は母親になりました。これから始まる新しい生活に、期待と夢で幸せ一杯でした。
しかし、三時間後、抱く事も授乳する事もないまま保育器に入りました。呼吸異常の為、二十四時間点滴治療をする事になったのです。他の赤ちゃんとは別にされ、細い腕に刺された針が痛々しく、見えました。回復する事を願っていたのですが、翌日も息子には少しの回復も見られませんでした。夕方、心臓エコーの検査を「念のため」と受けたところ、私の願いも虚しく、心臓に奇形が見られたのです。とりあえず専門の病院へ搬送される事になりました。私の元を離れて行く時、搬送先の医師に「もしかしてもう二度と抱く事はできないかも」と告げられ、私は初めて息子を抱きました。涙でぼやける軽く小さな息子に「がんばれ」と声を掛ける事しかできない虚しさは今でも忘れられません。私は何て無力なんだろう。
『左心低形成症候群』先天性重度心臓病です。生まれつき左心房左心室が小さくて、全く機能しないというもので、放置しておけば三日ともたないそうです。何度も手術が必要で、現日本の医療では根治する事も難しいのです。この事を受け入れる事は、簡単な事ではありませんでした。「何故うちの子だけが」という思いで一杯でした。自分を責めたり、他人の元気な子供を見ると憎しみすら感じていました。最近多い虐待ニュースを目にするたびに「何故こんな人達のもとに元気な子ができるの?」と腹立たしく思ったこともあります。
生後一週間目、それまで薬で眠らされていた息子は、二十時間にも及ぶ応急手当のような大手術をしました。手術室へ向かう時、これから始まる事が解っているかのように泣きました。初めて聞いた泣き声がこんなに悲しく聞こえるとは思ってもみませんでした。
私は毎日面会し、毎日泣いていました。でも人工呼吸器をつけ、二十台近くの点滴につながれた息子は、必死に生きようとしているのです。そんな姿を見て、私は「親なんだ。闘わないと…」と思い、どんなにつらくても息子の前では必ず笑顔でいました。前進する事だけ考えて笑っていました。不思議なもので、いつの間にか心から笑えるようになっていました。他人の元気な子供を見ても「元気でよかった」と本心で思えるようになっていました。
息子の容体は、良くなったり悪くなったり、何度も何度も手術を繰り返しました。五ヵ月を過ぎた頃には、何とか体調も安定し、長かったICUから一般病棟へ移されました。面会時間も長くなり、昼十二時から七時まで、毎日おむつ替えや沐浴等しながら息子と過ごしていました。少しずつゆっくりと成長していく息子と過ごす時間は幸せで、あっという間でした。七時に息子を寝かしつけて、何一つ息子の面影のない自宅へ戻るのです。
鼻から胃まで通したチューブで少量のミルクを流し入れるだけの授乳、ほんの少しだけ哺乳ビンで飲む事を許され、やっと出生時の体重を上まわりました。物をつかんで振る事、調子が良い時には少し声を出して笑う事も、出来るようになりました。容体は安定してて、医師の口から、次のステップである手術の話、その術後調子が良ければしばらく自宅へ戻る事も考えると告げられました。私たちは喜び、手術を受ける日を待っていました。そんな矢先に悲劇は訪れました。息子の命は六ヵ月と十日という短いものでした。
医師の大きな手が息子の小さな体を心臓マッサージしている。側で見てるはずなのに、ものすごく遠くに見えた息子は、父親である主人の顔をじっと見、その後私の顔を見てそして静かに目を閉じました。二度と開く事はなかった。初めて点滴やチューブを何一つとして付けていない息子は、もう動かない。ものすごく重く感じられました。たった3500gしかないのに。
私は冷静でした。ポッカリと穴が開いてしまったようで涙は止まらないけども、病気を告知された時よりは、息子の死を受け入れる事は簡単でした。後悔は何一つない。できる事は全てしてあげれたと思う。息子には「よくがんばったね」と「私たちのもとに生まれてきてくれてありがとう」と自信を持って言えます。息子のおかげで私はひとまわりもふたまわりも大きくなりました。大勢の病気の子を持った親と接しました。みんな明るく、又みんな人の心の傷みの分かる人達です。みんな乗り越えた人達です。私も六ヵ月間、小さな幸せを探して笑顔で過ごせて、幸せで内容の濃い時間でした。息子が教えてくれました。
昨年、娘を出産しました。息子が教えてくれた命の尊さを知ってしまったから、私はすぐにでも子供を出産したかったのです。ありがたい事にすぐ妊娠できましたが、不安で仕方ありませんでした。胎児心エコーの検査を受けて異常が無い事が解ってからも不安で仕方ありませんでした。でも私の心配もふきとばすくらい元気な女の子が生まれました。息子が六ヵ月でも越える事の出来なかった、体重3500gの壁を軽く越えた大きな子。一度も会う事のできなかった兄の事を理解する事は難しいと思います。でも私は伝えていきたいと思ってます。健康という事は決して当たり前の事ではありません。その事をきちんと教えたいと思います。
そして息子へ、次生まれてくる時は絶対に元気に生まれておいでね。