授かりし命|赤ちゃんの沐浴はスキナベーブ

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持田ヘルスケア株式会社

エッセイコンテスト

スキナベーブ 赤ちゃんエッセイコンテスト

【第1回】~ 妊娠・出産、新しい生命の誕生に接して ~

大賞

・授かりし命

【一般部門】
高山 紀子
静岡県  主婦  44歳

「産まれるぞ」
と言う主人の声に、子供達が廊下をドタドタとかけてきた。初めての自宅出産が始まろうとしていた。長男は中学二年。次男は小学六年。三男は小学五年と年子三人組である。そして、唯一の女の子、四人目の長女は小学一年。五人目の四男は三才であった。
今回六人目の赤ん坊は、誕生予定の三日も早い出産となった。昼ごろ、陣痛が始まった。今までなら、すぐに病院に行き、産院のベットの上で、たくさんの機器をお腹に巻きつけ陣痛に合わせて動く針でかかれたグラフを追っていただろう。しかし、今回は、痛むお腹を押さえつつ、ふろを洗い、夕食を用意して、助産婦さんが来るまで、主人や子供達が帰宅するまで、私は動きまわらねばならなかった。
「いきまないで!!」
突然の助産婦の声に、声を出すまいと、口にあてていたタオルを思わずはずしてしまった。「へその緒が首に巻きついているからね」
と言った助産婦は、そのへその緒をクリップで止め、はさみで切ったようだった。とたんに、勢いよく赤ん坊の体はすべり出し、私はやっとあの激痛から開放された。けれど、泣かない。産声が上がらない。私は不安で一杯になった。主人や子供達も、息をこらして見守っている。すると、助産婦が、赤ん坊のおしりを数回叩いた。
「おぎゃあ。おぎゃあ」
やっと、産声があがった。と同時に、
「やったぁ!!」
と歓声も。待ちに待った赤ん坊の誕生だった。
「男のお子さんですよ」
と言う助産婦の声に、突然、長女が、
「妹じゃないの。いやだぁ!」
と泣き出したのである。長い時間、緊張していたせいか、かなり興奮している。生まれる前日まで超音波検査で女の子だといわれていたからだ。主人も、「理沙」という名前まで考えていた。男兄弟の中で育ってきた長女にとって、やっと自分に妹ができるという楽しみがどれほど強いものだったのか──。私は胸が一杯になった。
「さぁ、たらいにお湯を入れてきて!」
私は、子供達に声をかけた。主人に肩車されて見ていた四男がとびおりた。
「ぼくもいく」
半年前まで、おっぱいを吸っていたあの彼がこの時から、お兄ちゃんになったのである。泣きじゃくっていた長女も、三人の兄や弟と一緒に廊下を走り、ふろ場に向った。兄弟達の手によって、産湯が運びこまれた。血だらけだった赤ん坊は、みるみるうちにきれいになり、服を着せられ、私の横にねかされた。我が家の家族が、今ここに新しく誕生したのである。生まれたばかりの赤ん坊は、とくとくと、私のおっぱいをもうじょうずに吸っている。
「わぁ、小さな手。もうこんなに爪も伸びている」
「ちっちゃあい」
「わぁー。こっち向いた。口を開けたよ」
次々に、赤ん坊をのぞきこむ子供達。おそるおそる赤ん坊に触れる子供達。その様子を、笑顔で見つめる主人。我が家の六人目の赤ん坊が、我が家の一室で、家族みんなの見守る中、無事生まれたのである。兄弟達の手で入れられた産湯につかり、みんなに誕生の喜びを与えてくれた。
病院で産んだ時には、味わえなかった誕生の喜びである。産まれてすぐに、新生児室に移され、初めて対面する家族達も厚いガラス越しである。まったく隔離され、赤ん坊に触れることも許されない─そんな今までの病院での誕生とは違っていた。生まれたばかりの我が子におっぱいをやり、家族を囲んで話せることが、これほどの喜びだとは、思いもよらなかった。
思い返せば、六人目の妊娠がわかった時には、正直、戸惑いと不安で一杯であった。 私には、苦い体験があったからである。五人目の妊娠に気づいた時、私は四人の子供達の育児に疲れきっていた。
〝中絶〟──今まで考えもしなかった尊い命を断ち切る方法を、うしろめたさと恐怖におびえながらも真剣に考えていた。中絶することなく自然に流産すれば──ずるくて、身勝手な考えであったが私は実行したのだ。赤ん坊にとって大切な時期にバス旅行に、海水浴と。けれど、軽い出血を繰り返すだけで、流産には至らなかった。そして中絶もできない月数に達してしまった。もう産むしかなかった。障害をもつ子供が産まれるかもしれないという不安と、自分の身勝手な行動で取り返しのつかないことがおこるかもしれないという後悔。人間の尊い命を断ち切ろうとした罪悪感が広がっていた。
「たとえ、どんな子供がうまれようと、ぼく達の家族だ。みんなで育てていこう」
と言う夫に支えられ、無事に健康な男の子を生んだ日、感謝の思いと、もう二度と尊い命を断ち切ることなど考えまいと心に誓った。しかし、六人目の妊娠を知った時、正直いって、また私の心は動揺していたのだ。
「子供は、いっぱいいる方がいいよ」
と笑顔の夫に、私の動揺はかき消されたのだ。
「人間には、三つの出来事しかない。生まれ生き、死ぬことだ」
という言葉がある。この人間が生まれるという出来事を、子供達に体験させたい。家族で一緒に何かをやりとげたい──そんな思いが、今回の六人目のお産を自宅出産にしようと、私に決断させたのである。しかし、病院で産む人が多くなり、私の住む町の助産院は、どこも引き受けてくれなかった。でも、私達の強い希望が届いたのか、快く引き受けてくれる助産院を隣町でみつけることができたのだ。私は、さっそく戸惑う子供達に
「昔は、みんな家で産んでいたんだから──、みんなで、がんばってみようよ」
となんとか説得し、産まれたあとの仕事分担を話し合い、やっとこの誕生の日を迎えたのである。
医学が進歩し、超音波検査の結果で、生まれる前から女の子といわれてきた赤ん坊は男の子であった。どんなに医学が進歩しても、この命がどこから来て、そしてどこにいくのか誰にも分からない。今わかり得るのは今ここにこうして生きているという現実だけである。一人一人の人間は、生きるために生まれそしていつかは、死んでいくのだ。私が断とうとした尊い命は、私に命の大切さを教えてくれた。そしてまたさらなる新しい命は、私達家族に誕生の瞬間の素晴らしい感動をもたらしてくれた。人は、何らかの意味をもってこの世に生まれてきているのではないだろうか。
「妹じゃないの。いやだぁ」
あの声が、天に届いたのだろうか。我が家の七人目に女の赤ん坊が、授かったのは、自宅出産から五年後のことだった。

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