【第8回】~ 赤ちゃんとわたし ~
入選
・生まれ育った町で
愛媛県 公務員 48歳
息子は、この夏22歳になった。看護学科の4年生だ。夏休みも実習や卒業研究に忙しい。そんな合間を縫って、地元の病院の採用試験を受けるために、あわただしく帰って来た。
試験の日の朝、緊張した面持ちで、中学生の妹を相手にリビングで面接の練習をしていた。
「わたくしの長所は・・・」
と、大まじめに答えている兄の様子に娘も苦笑している。
そんなひとときが過ぎ、家を出る時間が迫ってきた頃、
「ネクタイの結び方、これでいいかなあ。」
と言って、息子がやって来た。
わたしは、大学の入学式に出席しなかったので、息子は自分でネクタイを結んだ。成人式の時も自分で結び、いっしょに写真を撮った。
けれども、就職試験ともなると、自分で結んだのでは不安なようだ。
思いがけない申し出に、ちょっとときめいた。
少し背伸びをして、息子の息づかいを感じながら、心をこめてネクタイを結んだ。久しぶりに、我が子の体に触れた。
息子を笑顔で送り出し、リビングの窓から、彼が歩いて行ったその道を眺めながら、わたしは、息子を初めて抱いた日のことを思い出していた。
初めての妊娠、出産だった。自分が母親になるのがうれしくて、赤ちゃんに会うのが楽しみでたまらなかった。
前日の夜から続いていた陣痛は、朝になってだんだん強くなった。夫も、母も、義母も来て、励ましてくれていた。生まれて初めて体験する強烈な痛みに頭が混乱し、痛みをやり過ごすために目をギュッとつぶって数を数えていた。その時、
「痛い時に目をつぶっちゃダメ。体に余分な力が入ってしまうよ。
しっかり目を開けて、ゆっくり呼吸しなくちゃ。」
と助産師のNさんが声をかけてくれた。
「目をつぶって逃げちゃダメなんだ。目を開けて、この子を迎えよう。」
と思った。このアドバイスは、その後の2回の出産の時はもちろん、日常生活のいろんな場面で役に立っている。例えば、注射をする時もしっかり目を開けて、笑顔でいると、なんだか痛くないような気がする。
お昼を過ぎた頃、息子は元気な産声をあげた。
その日の夕方、助産師さんが赤ちゃんを連れてきてくれた。初めて抱いた我が子は、小さいのに、ひざにずしりと重かった。細い細い指が、ちゃんと5本ずつそろっていること、耳の細かなひだまでが、精巧なガラス細工のようにきちんとできあがっていることに感動した。
初めて母乳をふくませ、母親になった実感がひしひしとわいてきた。1週間後、実家の母が選んでくれた、水色のシンプルなベビードレスを息子に着せて退院した。
わたしは、今もタンスに大切にしまってある、そのベビードレスを出してきて、手に取ってみた。
「この服を着せた時、うれしかったなあ。」
と、22年前をありありと思い出す。
高校生になった息子が、「看護学科」を受験したいと言った時、最初は驚いた。命を預かる厳しい職場だ。しかも、女性が多い。けれども、そんな環境に跳び込んでいくことを、自ら決意した息子の意志を尊重したいと思った。
5日後、息子が22年前に生まれた病院から、合格通知が届いた。この子を取り上げてくれたNさんは、産婦人科の師長として今も元気に働いている。水色のベビードレスを着て、黒目がちな瞳にまっさらな世界を映していた息子が、生まれ育った町の命の現場で、社会人としての第1歩を踏み出す。
わたしの胸にしっかり抱いていた小さな、小さな赤ちゃんだった息子。その柔らかな感触を今もふと思い出す。そんな母親の懐から飛び立ち、看護師として、たくさんの人と出会い、かかわりながら成長してくであろう息子を、わたしは少し離れて、でも、やっぱりハラハラ、うきうきしながら見守っていくことだろう。